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ファミコンの新しい挑戦 / ファミリーベーシック / FC

 任天堂はなぜファミコンでベーシックを使えるようにしたのか。

 
 ファミコンでベーシックが扱えるというは、今思うと画期的だ。最近のゲーム機には、初心者向けのプログラム環境は用意されないのが普通である。しかし、ファミコンにはベーシックが登場し、ロボットシステムが登場し、多様な遊びの形態を模索していたことが窺い知れる。自分でプログラムをして遊ぶなんて、実にクリエイティブで知的な探究心を刺激するではないか。そういう点で、このファミリーベーシックの存在は素晴らしいと思うのだ。
 
 ファミリーベーシックは、そのパッケージも素晴らしく、カセット以外にフルキーボードと、結構厚い解説書がセットになっていた。今のようにUSB規格もなく、当然汎用キーボードという概念もなかった当時、任天堂はコストがかさむのを覚悟で立派なフルキーボードをセットにしてきたのだ。解説書は高橋名人が執筆したらしいが、こちらも、この本1冊あれば最低限のプログラムが組める充実した内容だった。
 
 当時、僕はすでにパソコン(その頃は「マイコン」と呼んでいたかもしれない)を使ったことがあり、BASIC言語にも触れていたため、ファミリーベーシックにもそれほど興味を示さなかった。しかし、機会があってファミリーベーシックでゲームを作ってみることがあったのだ。そのときの印象は、正直大したことはできないな、というものであったが、実はこの「大したことができない」というのが重要であるのだ。ゲームを自作するにも、メモリは2Kバイト、キャラクタはマリオやおなじみのゲームキャラクタを選んで使う。それではそんな中で作れるゲームはどんなものがあるのか。爆弾やマリオといった、同じキャラを使ったゲームで、サンプルゲームや他人の作ったゲームと違った個性を出すにはどうすればいいのか。そんなことに工夫を凝らす、頭を使う必要があったのだ。
 
 結果、自作のゲームはあまり面白くなかったが、その後雑誌などに掲載されたファミリーベーシック製のゲームを見て、「ああ、こんな発想もあるのか」と感心した覚えがある。近頃では、3DSWii Uなどのゲーム機にBASICをリリースしている例もあるが、今の子供達の目に、そういうクリエイティブな環境はどう映るのだろうか。ゲームが高度化し、おいそれとは自分でゲームを作れない中で、何かを創造していく喜びは見いだせるのだろうか。ファミリーベーシックの記憶を思い浮かべながら、そんなことを考えた。